東京滞在備忘録 =2日目=

●AM7:30 起床
朝食(宿のIFレストコーナーでセルフバイキング)
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●AM9:30 宿を出発
 この日は朝から雨のため、ホテル1Fのローソンにて折り畳み傘を購入(@1,500)
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●AM9:45 新宿駅
 JR山手線 渋谷方面へ
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●JR代々木駅
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●千駄ヶ谷方面へ歩く(写真撮影)
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●AM10:10「日本デザイン福祉専門学校」着
 本校→第2研修棟へ歩く(写真撮影)
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●JR代々木駅
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●代々木駅→渋谷駅→田園都市線(中央林間行き)へ乗り継ぎ
(渋谷はイメージがすっかり変わってしまった)
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●田園都市線「用賀」駅下車
 ↓北口から徒歩9分
●「ソルシアス上用賀」に到着
 ソルシアス巡回展の掲示板と施設外観を撮影させていただく。
 (イラステイナーズ代表:いとう氏へ事前に伝達済み)
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撮影した画像をその場でいとう氏へ送信
ホームページ「イラステイナーズ」会員ページへすぐに掲載・告知してもらった。
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●田園都市線「用賀」駅へ

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 ↓★スマホアプリ「Y! 乗換案内」が大活躍!!
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●用賀駅→三軒茶屋駅へ
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●三軒茶屋駅→東急世田谷線(トラム)に乗り換え
 ↓※路面電車なのでかなり遅い
 ↓(道路の信号待ち時間もありローカルな印象)
●山下駅下車→小田急線豪徳寺駅へ(徒歩1分)
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●小田急線 豪徳寺駅(高架駅)
 ↓※小田急線は「新宿=上北沢」と「向ヶ丘遊園=百合ケ丘」の区間以外はすべて高架・地下駅化している。

 ↓(交通渋滞緩和対策のため)
●PM14:10 百合ケ丘駅 着
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28年ぶりに訪れる小田急線「百合ケ丘」。
駅の北側は宅地化が進みマンション郡が建ち並ぶが幹線道路や駅までの歩道橋、上り坂の舗装路、駅南側のロータリー、ゆりストアの景観は28年前と変わらずそのまま。
変わったのは駅舎南口の本屋「大塚書店」が2013年に閉店して飲食店に変わっていた事と喫茶店「吾妻」の看板がなかった事。
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●レストランFloraにて昼食
 店員の女性に「キーマ風カツカレー(サラダ付き)」をオーダー。
 覚えていた「懐かしいカレーの味」に再会できて感動!!

=回顧=
日本デザイン専門学校1年生の頃は、麻生区千代ヶ丘にある男子学生寮でお世話になり、1年間、この百合ケ丘駅から南新宿駅まで小田急線で通学していました。
当時の授業シフト(日課表?月課表?)では「午前中のみ」や「午後のみ」の授業があり、学生たちは帰宅するかアルバイトや遊びにでかけるか・・・になります。
学生寮内では昼食が出ないため、ゆりストアでパンや弁当、お菓子などを買って寮の食堂で食べるか、外食するしかなかったのでした。
そして、当時の昼飯を外食で良く食べに通っていたのがこの「Flora」でした。
クラスは違えど同じ高校を卒業し、同じ学生寮から専門学校に通う同級生とも、よくこの店で食べたのでした。彼はよく「シーフードドリア」や「グラタン&ピザセット」をオーダーしていました。
当時のカレーは「キーマ風」ではなく普通の「カツカレー」や「ハンバーグカレー」などだったのですが、600円あればお腹がいっぱいになるほどのボリュームで美味しかったのを覚えています。
当時は今現在の対面側にあるカットサロンのフロアに店舗があったのですが・・・
何か経緯があるんだろうな?と思い、食事を終えてから店員の女性に「このお店は以前、この向こう側にありましたよね?私は昔、よくここでランチを食べて専門学校に通っていたのですが、今日は28年ぶりに東京に訪れることができて、このお店でどうしても思い出のカツカレーが食べたかったので百合ケ丘まで来ました」と伝えると、驚いた様子で厨房付近にいらっしゃったオーナーらしき女性を呼んできてくださいました。
そして私が座っている席までやってきた女性オーナーに同じ内容を伝えると、なんとその方は28年前、当時Floraでアルバイトで働いていた時期があったという人物で、現在はFloraの代を継いでいるのだそうです。
名刺をいただきました。

28年前当時の懐かしい話を交わしながら、なぜ今自分がこの時を経て百合ケ丘に訪れたかという経緯(話が長くなるので割愛)と、Floraオーナーの28年間の経緯を談話させていただきました。
(閉店が15:00だったのですが、オーナーは私と話をする時間を1時間ほど割いてくださいました)

その後、お店を出て百合ケ丘駅へ向かう坂を下りかけたとき、ふと気配がしたのでお店の窓の方を見上げると、そこには笑顔で手を振りながら見送るオーナーの姿が。
私は何度も照れ笑いしながらおじぎをして、お店からはもう私の姿は見えないだろうと思った所までさしかかった時!

オーナー:
「いってらっしゃい!またここに帰ってくるのよー!」と声が!!!

周囲に居るのは自分だけ。
驚いて振り返り、手をふり続けるオーナーに思いっきり手を振って感極まりました。
そして百合ケ丘駅まであと少しの距離にさしかかって、自分も気持ちがいっぱいにこみ上げてきて、ぶわーーっと涙があふれて前が見えなくなりました。
嬉しくて、感動で、こんなに男泣きする事なんて記憶にない程でした。
周囲に人影がなかったのが幸いでした。
きっとグシャグシャな顔で涙をボロボロ流していた中年のおっさんに驚いていたことでしょう。

この日のオーナーとは本当に終止「気持ち」と「気持ち」でお話しができたと感じています。
きっとオーナー自身もこれまで辛く厳しく、そして寂しい時期を歩まれて踏ん張ってきたのだと思います。

談話中、私のスマホに表示したイラストを観ていただいた時のオーナーと店員さんの表情はとても穏やかで幸せそうで、まるで我が子をあやす時のような表情だったのが印象的でした。今後も、このような小さなご縁を積み重ねていくことで、少しでも元気と笑顔を灯し続けることができるなら、きっとそれが「イラストを通じてできる事」なのだと改めて実感しました。
28年という期間はきっと、これまでお店を閉めずにいてくれたFloraとの「思い」が「ご縁」となって形になっていく(のかな?)ために「必要な期間」だったのかもしれません。
その答えのひとつは「介護施設ソルシアス巡回展」の開催期間中または終了後に形となって見えてくると信じています。
「来年も東京に来たい!」そう強く思ったのでした。

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●PM15:40 百合ケ丘駅発
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●PM15:50 祖師ケ谷大蔵駅着
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●祖師ケ谷大蔵駅
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●ウルトラマン商店街
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●砧(旧コーポ河野周辺)散策
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小田急線 祖師ケ谷大蔵駅は専門学校2年生に進級する直前、百合ケ丘学生寮から離れ、一人暮らしに慣れるために不動産巡りをして探し当てたアパート住いしていた場所でした。ここでは卒業までの1年間、ワンルーム(キッチン・ユニットバス付)家賃53,000円で自炊生活。光熱費や家賃の支払いなど、仕送りで足りない分はすべて自分でやりくりしていました。(トータルで計算すると、学生寮から通学する費用と全く変わらなかったのでした)

祖師ケ谷大蔵駅の西側にある「祖師谷商店街」の名称は今「ウルトラマン商店街」と生まれ変わり、当時はよくこの商店街で買い物をしたり、散歩をしたり(木梨サイクルも発見したり)北側に向かう京王線エリアまで歩いたこともありました。
今では祖師ケ谷大蔵駅も高架となり、駅周辺の街灯はランプの部分が「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」の目元のデザインになっています。列車が到着するアナウンス音は、かの名曲「き〜たぞ!わ〜れら〜の〜ウ〜ル〜ト〜ラ〜マ〜ン♪」が流れます。
駅の北口には「ウルトラマン」のモニュメントがあり、公園になっています。
なぜ「ウルトラマン」がこの地に根付いているのかというと、当時私が住んでいたアパート「コーポ河野」のある「砧(きぬた)」という場所の南西の幹線道路沿いに「東宝砧撮影所」と「倉庫」があり、「ウルトラマンシリーズ」の特撮撮影所なのでした。今もその撮影所は存在するようですが、時間の都合上、この日は訪れることを断念しました。
この日はお祭りがあり、ひときわ家族連れの客で賑わっていました。
駅の南口はバスが通るロータリーにもなっており、28年前の面影はほとんど消えていました。駅南側の「ウルトラマン商店街」も綺麗に整備され、新しいビルなども立ち並びます。
遠い記憶をたよりに迷子になるのを覚悟して、いざ駅南口から当時住んでいた「コーポ河野」のアパートを目指します。当時あったはずの「銭湯」と「煙突」も今はなくなっていました。
なんとか当時のアパートがあった場所までたどり着きましたが・・・家屋は全く違う建物に変わっていました。近所にお稲荷さんが祀られている場所があった事、JALの社員寮があった場所を記憶しており、それらはちゃんと残っていたのでアパートがあった場所は間違いありませんでした。そして隣にあった小さな病院も、今は新しい家屋に建て替えられていました。少し寂しい思いをしながら、仕方なくそこから南東方向へ幹線道路を渡って歩きます。その先には当時コンランドリーや野菜屋さん、定食屋、セブンイレブンがあるはず・・・でしたが、その場にたどり着くと、セブンレブンだけが存在していました、しかしその場所はもともとあった場所とははす向かいの場所に、駐車場を広くとった敷地に移動していました。28年前。当時のコンビニといえば東京でもセブンイレブンかファミリーマートぐらいしかありませんでした。当時の生活上、このセブンイレブンにはよく助けられたことを覚えています。
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●PM16:26 祖師ケ谷大蔵駅発
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●PM16:44 新宿駅到着 南口より宿へ
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●PM17:00 宿に到着
この日も雨と湿度の高い中歩き回ったので汗だく
宿でシャワーを浴びて着替え、すぐに折り返し新宿駅に向かう
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●PM17:45 新宿駅 小田急線ホーム
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●PM18:10 下北沢駅着
北口から出て「古城」へ向かう(西口から出た方が早かったらしい・・・)
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●PM18:30
「古城」にて「四人会」交流会
・いとう良一(イラストレーター)
・又野 進一(おんせんにゃんこキャラクター作者:グラフィックデザイナー)
・笠原 正輝(高校時代の同級生:在京30年:グラフィックデザイナー)
・堀  敦行(印刷会社勤務:グラフィックデザイナー・イラストレーター)

このお店はイラステイナーズ代表:いとう良一氏が好んで通うお店である。
店主の故郷が愛媛県宇和島であり、いとう氏の奥様も愛媛県宇和島出身ということもあり、今回のプライベート交流会はこのお店で開催されました。
宇和島といえば、以前の職場で乾物商品パッケージのブランディングからデザインにわたって携わせていただき、約2年間愛媛県伊予市にある「ベストプラネット」へよく出張で行った思い出があります。臼杵港から宇和島運輸フェリーで宇和島を経由して、パッケージ会社の営業担当者の車で向かったこと数知れず。「じゃこ天」が旨いことで有名です。

入店一番、又野氏と笠原氏との再会に感動、思わずハグしました。
そして2晩続けて時間を設けていただいたいとう氏に感謝の言葉を述べて、それぞれの近況報告から会話がはじまり、
音楽、文化、食、それぞれの業種の経緯、学生時代の環境や生い立ちなど幅が広く、それでいてどれも共感できる話題ばかりで、同年代ならではのつきない話が繰り広げられました。シビアでありながらも笑顔が絶えず、それはさながらTV番組「ボクらの時代」をリアルに再現しているような雰囲気でした。
その中で核心ある重要なテーマが「著作権・版権」に関する事柄をいかに業務上で関わる方々と意識共有することができるか?といった内容でした。すなわち「知的労働力」に対する対価と「知的肖像権・遺産」といった「付加価値」。
これは大分でも同じ問題をかかえているのでとても興味深かったのですが、いとう氏と又野氏の会話ではかなり実現的な内容が交わされていました。昨今はこれらの意識が希薄化されているがために経済がまわらなくなっているのではないだろうか?とも。その起因は「ネット社会」による「価値観の麻痺」が大きく根付いている事であろうという共通意見。

今回、東京滞在できるに至るのは勤務先でそれなりの給料をいただいているから実現できたに相違なく、自分がまだデザイナーとしての修行中、初めて印刷業界の仕事で鍛えていただいた会社という思い入れもあり、ここで「何か良い方向に動かす力が生まれれば!」と意識して動いている事を3人に伝える。また、オリジナル作品を生み出すにあたり「登山」がいかに自分にとって重要な向き合う要素であるかも伝える。

同級生:笠原氏の在京デザイナーとしての志をはじめて聞いて納得。彼のチャレンジ精神は素晴らしいと感じた!!

ネット社会も淘汰を繰り返し、いずれは「原点回帰」する時期が訪れるであろう。あるいは訪れる時期が来ない方がおかしい時期にさしかかっているという見解多数。
そのタイミングを見越して「今できる事・やるべき事」をやっていこうという強い意識をみなさん持っておられる事。

「次の世代」に私たちのレガシイを繋いでいかなければ。という使命感。

このあたりでだいぶ酔いがまわって眠くなってきたため、あまり会話を覚えていない。

今日の良き日・ご縁に感謝するとともに「古城」のオーナーに「4人」の記念写真を撮っていただく。
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●PM10:30頃 解散
 小田急線下北沢駅より新宿駅へ向かう
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●PM11:10 宿着
IFローソンにてnimocaチャージ(@2000)
翌朝郵送(ゆうパック)するための空ダンボールをもらう

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●AM2:00 頃 就寝